▼書評 『京舞つれづれ』

28123871_1京舞つれづれ

著者 井上八千代
出版社 岩波書店
発行 2016 11/28


《舞の心を継ぐ》
ボクが直近で京都へ訪れたのは、2011年に冬だ。京都・五花街といえば、皆さんもご存じにように祇園甲部、先斗町、宮川町、上七軒、祇園東です。その際は『上七軒』へ訪れました。修学旅行で行った際とは、ずいぶんと趣が違うものだなとしみじみと思った。また、読書の醍醐味の一つとして、その土地へ行かずとも旅ができる点であろう。もちろん、「百聞は一見に如かず」は重々承知している。

本書の著者は、能の家に生まれ、三歳で京都・井上流に入門し井上愛子(四世八千代)の薫陶を受けました。1975年に八坂女紅場学園の教師となり、以後「都をどり」、「温習会」の指導にあたり、2015年には人間国宝に認定された方です。井上流は、上述した花街の一つ祇園甲部歌舞舞練場で「都をどり」を4月1~30日に開催しております。

非常にやんわりとしたタッチで、あたたかみのある文言というのが強い印象です。本書では、祇園の四季、著者の生い立ちから60年に及ぶ舞の道、四世・八千代のことなど伝統芸能について記されております。

京都の人間は、数え3つまで「愛宕山」へお参りにいくなど、その土地ならではのエピソードに始まり、舞の核心へと迫っていきます。「都をどり」は、明治5年の第一回から、戦争中の中断はあったそうですが、ずっと続いているそうです。実は、著者は3つからお稽古をはじめたとおっしゃっているようですが、その前からおじいさんの希望ですでに始めていたそうです。四世・八千代(先代)がカリスマと言われ、その芸質は「大地に根の生えた力強さと、生まれたてのみずみずしさを併せ持った芸」であったと。

それでは、舞についていくつかピックアップしてみましょう。

井上流は顔で表現してはいけない。そのためには、頤を使うのが特徴。
稽古の際は、先に形を整えることにならぬように、ということで鏡を使わないこと。
間(ま)というものは、その人の持ち味=ニン であり、その人の根っこの本質である。
稽古によって作りごとであることを忘れてゆく。そうして自然になっていく。 


また、志が低いと第三者に見透かされ、著者はある方にこう言われたそうです。「お師匠さんが向こう見はったら、千里先でも見えてはるみたいやけど、あんたに見えてんはほんの数メートル先やな」と。それを志と自覚するところにもすごさを感じた次第です。

さらには、舞とは

一人ひとりの心のうちからはじまる。詩的であり、かつ〝私的〝とでも申しましょうかと。

伝統を継ぐ、今では地方(じかた)=舞の演奏をしてくださる方も減り、また昨今のお客様の傾向として、踊りにしろお芝居にしろ、いわゆる古典みたいなもんの時間の流れ方にお客様が乗り切れない、待ちきれないそうです。お客様あっての伝統芸能ではありますが、〝真〝の伝統芸能をご覧になるには、心を澄ませてご覧になる心構えも必要だと感じました。

実は、井上流は、余所の方が「男子禁制や」と言われる女性ばかりが続いている家元とのこと。その中で、如何に女性の持つ柔らかさを生かし、大きな世界を表現ができるか。道は遠くとも、これが忘れてはならぬ目標であるとのことです。

京都へご旅行を計画されている方、伝統芸能にご興味をお持ちの方は、是非手に取って下さいませ。

おわりに・・・芸事のお稽古は数えの6つの6月6日からはじめると験がええそうです。