■書評 『道程―オリヴァー・サックス自伝』
道程―オリヴァー・サックス自伝
著者 オリヴァー・サックス
訳者 大田 直子
出版社 早川書房
発行 2015 12/25
《サックス節もこれで最後。医師として、作家として》
1933年ロンドン生まれ。本書は、『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』、『音楽嗜好症』etc..と多数のベストセラーを残し、昨年この世を去った脳神経医オリヴァ―・サックスが自ら綴った人生の軌跡である。
本書の前半は、著者による波乱万丈の人生が惜しみなく描かれています。医者の一家に生まれたサックス。若かりし頃の趣味は、机上の理論ではなく「体験」でした。親の反対を押し切り、中古のバイクでアメリカを一周を成し遂げ、バイクを嫌って挑発してくる車のドライバーには、パンチをお見舞いしたりと意外な一面もありました。一見穏やかそうなサックスとのギャップが読み手を惹き込んでいきます。とりわけ、ヒッチハイクの際での車上でのメモの口絵がボクには印象的でした。さらには、ウェイトリフティングの趣味はさらに意外で、ダブルチーズバーバーガーを貪り、ミルクシェークでバルクアップし当時のカリフォルニア新記録を樹立したのでした。
本BLOGの書評を書く前日、パナソニック社が社内規定で「同姓婚」を認めるほど今では社会的に「同姓婚」が認知されていますが、サックスの若かりし頃は、まだまだでその体験を異国の地、フランスにて行いました。そのために、親愛なる母からは「お前は憎むべきもの。お前なんて生まれてこなければよかったのに」とまで言われたほどです。さぞや、苦悩も多かったと思われます。そんなサックスだからこそ、精神を病む神経症を患う人々に寄り添い続けることができたのではないでしょうか。
とはいっても、前述のようにイギリスから渡米したサックスも順風満帆ではありませんでした。何故ならサックスは実は不器用で「君は研究室の脅威となる」まで言われ、その結果薬物に手を染め、そこでの転機が臨床医だったのです。そんなサックスがベス・エイブラハム病院に常勤していたとき、「六番目の感覚」をみつました。それが「固有受容感覚」です。五感のどれよりも、あるいは五感をすべて合わせたよりも、重要で不可欠である。ヘレン・ケラーのように、目と足が不自由でもかなり充実した生活を送ることができるかもしれないが、固有受容感覚は自分自身の体の知覚するため、自分の手足がどこにあって、どう動いているのか知るために必須であると。この事実も彼の書籍に生かされています。
サックスが述べているように、「私の生涯にわたって無数の言葉を紡いできたが、書くという行為は、70年近く前に始めたことき同じくらい新鮮で・・」と述べています。年に1000件を超えるメモは数十年にわたって書き続け、他人にはそのメモは小説のようだと言われたそうです。
そのメモによる観察眼は「人間観察家」と結びつき、サックスによる脳神経外科としての診断も、決してマニュアル通りではなく、おずおずと患者に接しつつ科学の目で病名を見抜き、そして、上述した同姓婚の苦しみを味わった彼だからこそ、患者をやさしく包み治療法を施せたのだと思います。敢えて何もしない治療法も独特で、それも病気も個性と認識してのこと。執筆した書籍もサックス流れであると同様に、医師としての診察もサックス流だったわけですね。患者と常に向き合いながら執筆活動に勤しんだ日々。ところが、2005年に「黒色腫・癌」を患いました。その時サックスは、恐怖から安心へ、また恐怖へと揺れ動く自身を綴っています。
晩年の科学を巡る議論は、まさにサックス節炸裂で、スティーブン・ジェイ・グルードとの議論、さらにはダーウィンの『種の起源』、ジェリー・エーデルマンの『神経ダーウィニズム』の見解もまさにサックスらしかったです。
サックスの波乱万丈の意外な側面の青年期。そして医師として作家としての有能さ。改めて、サックスの著作を読み返したくなり、ロバート・デ・ニーロも熱演した『レナードの朝』も鑑賞したくなった次第です。
そして、作家・小川洋子氏が述べているように「人生とはその人物のストーリー」であり、「個性とはハンディキャップを克服する鍵」かもしれないないですね。医師・作家だけではなく、人生って?それが凝縮された好書です。

著者 オリヴァー・サックス
訳者 大田 直子
出版社 早川書房
発行 2015 12/25
《サックス節もこれで最後。医師として、作家として》
1933年ロンドン生まれ。本書は、『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』、『音楽嗜好症』etc..と多数のベストセラーを残し、昨年この世を去った脳神経医オリヴァ―・サックスが自ら綴った人生の軌跡である。
本書の前半は、著者による波乱万丈の人生が惜しみなく描かれています。医者の一家に生まれたサックス。若かりし頃の趣味は、机上の理論ではなく「体験」でした。親の反対を押し切り、中古のバイクでアメリカを一周を成し遂げ、バイクを嫌って挑発してくる車のドライバーには、パンチをお見舞いしたりと意外な一面もありました。一見穏やかそうなサックスとのギャップが読み手を惹き込んでいきます。とりわけ、ヒッチハイクの際での車上でのメモの口絵がボクには印象的でした。さらには、ウェイトリフティングの趣味はさらに意外で、ダブルチーズバーバーガーを貪り、ミルクシェークでバルクアップし当時のカリフォルニア新記録を樹立したのでした。
本BLOGの書評を書く前日、パナソニック社が社内規定で「同姓婚」を認めるほど今では社会的に「同姓婚」が認知されていますが、サックスの若かりし頃は、まだまだでその体験を異国の地、フランスにて行いました。そのために、親愛なる母からは「お前は憎むべきもの。お前なんて生まれてこなければよかったのに」とまで言われたほどです。さぞや、苦悩も多かったと思われます。そんなサックスだからこそ、精神を病む神経症を患う人々に寄り添い続けることができたのではないでしょうか。
とはいっても、前述のようにイギリスから渡米したサックスも順風満帆ではありませんでした。何故ならサックスは実は不器用で「君は研究室の脅威となる」まで言われ、その結果薬物に手を染め、そこでの転機が臨床医だったのです。そんなサックスがベス・エイブラハム病院に常勤していたとき、「六番目の感覚」をみつました。それが「固有受容感覚」です。五感のどれよりも、あるいは五感をすべて合わせたよりも、重要で不可欠である。ヘレン・ケラーのように、目と足が不自由でもかなり充実した生活を送ることができるかもしれないが、固有受容感覚は自分自身の体の知覚するため、自分の手足がどこにあって、どう動いているのか知るために必須であると。この事実も彼の書籍に生かされています。
サックスが述べているように、「私の生涯にわたって無数の言葉を紡いできたが、書くという行為は、70年近く前に始めたことき同じくらい新鮮で・・」と述べています。年に1000件を超えるメモは数十年にわたって書き続け、他人にはそのメモは小説のようだと言われたそうです。
そのメモによる観察眼は「人間観察家」と結びつき、サックスによる脳神経外科としての診断も、決してマニュアル通りではなく、おずおずと患者に接しつつ科学の目で病名を見抜き、そして、上述した同姓婚の苦しみを味わった彼だからこそ、患者をやさしく包み治療法を施せたのだと思います。敢えて何もしない治療法も独特で、それも病気も個性と認識してのこと。執筆した書籍もサックス流れであると同様に、医師としての診察もサックス流だったわけですね。患者と常に向き合いながら執筆活動に勤しんだ日々。ところが、2005年に「黒色腫・癌」を患いました。その時サックスは、恐怖から安心へ、また恐怖へと揺れ動く自身を綴っています。
晩年の科学を巡る議論は、まさにサックス節炸裂で、スティーブン・ジェイ・グルードとの議論、さらにはダーウィンの『種の起源』、ジェリー・エーデルマンの『神経ダーウィニズム』の見解もまさにサックスらしかったです。
サックスの波乱万丈の意外な側面の青年期。そして医師として作家としての有能さ。改めて、サックスの著作を読み返したくなり、ロバート・デ・ニーロも熱演した『レナードの朝』も鑑賞したくなった次第です。
そして、作家・小川洋子氏が述べているように「人生とはその人物のストーリー」であり、「個性とはハンディキャップを克服する鍵」かもしれないないですね。医師・作家だけではなく、人生って?それが凝縮された好書です。
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