■書評 基準値のからくり-安全はこうして数字になった

26202028_1基準値のからくり-安全はこうして数字になった

著者 村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生
出版社 講談社(ブルーバックス)
発行 2014 06/20



《思考停止に陥るな!!》
この書籍は、1つの数字が決まるまでには色々な背景や議論があって、根拠もそれぞれ異なることを解説していきます。本書のまえがきには、「成年は20歳」から始まります。では、その根拠は?1876年(明治9年)の太政官布告まで遡り、当時欧米諸国が21~25歳程度と定めていて、日本人が欧米人よりも、①:「成熟している」、②:「平均寿命が短い」ことから、採用されたとのこと。では、皆さんもご存じのように我が国は長寿国となり前述した②から捉えれば、成人の基準の数字は自ずと遅くなるはずですが、そうはなっていません。

上述したように呆気にとられるような基準から飲食物の基準、放射性物質の基準、大気汚染(PM2.5)や交通安全、生態系の保全etc..と様々な基準値の成り立ちや、その背景にある考え方を「3人寄れば文殊の知恵」ならぬ、工学者2名、理学者1名、経済学者1名の計4名が紹介していきます。また、本書のサブタイトルにもあるように本書は、ボク達の日常生活の安全にフォーカスされています。よく議論の的になりますが、「安心」=「安全」ではなく、「安全」とは「受け入れられないリスクのないこと」と著者らは定義しています。すなわち、安全とは「リスクゼロ」ではないということになります。

米国の疫学者であり衛生工学者のウィリアム・セジウィック氏は「基準というものは、考える行為を遠ざけてしまう格好のツール」だと述べています。よって少なからずボク達の日々の生活のなかで、思考停止に陥っているケースがあるはずです。例えば、「もういくつ寝るとお正月・・」お餅は、日本の食文化と根づいていて、伝統的な正月の食材のひとつですが、実は本書によれば、一億口当たりの窒息事故頻度は、「餅」はあの悪者扱いされ国会でも取り上げられた「こんにゃくゼリー」の43~23倍であり 、リスク受容レベルが高いにも関わらず、生産制限された記憶はボクにはありません。このように科学的根拠に基づいていればいいという単純ではない基準がいかに多いか、とりわけ「食文化」について本書で納得させられます。

ここで、ボクが「餅」にフォーカスしたのには、2つの理由(わけ)があります。①:まずは、食品を詰まらせての死亡事故は、毎年4000人以上も起こっています。仮に、「私は事故が怖いから運転を控える!」そのような考えの方がいらっしゃれば(決して運転を強制しているわけではありません)、その数値から2013年の交通事故者数とほど同数なので、食品を口にすることができなくなります。そして、もう一点②:「損失余命年数」=亡くなられた方の失われた余命年数をメディアは、よく取り上げますがこの事と先述した「こんにゃくゼリー」と合致します。お亡くなりなりなられた方の多くは、餅も車の運転事故もともに高齢者の方々です。これが小さなお子様だと大きくニュースに取り上げられるわけです。

上述したことを考慮すると、「基準値を超えた超えない」に一喜一憂することがいかに無意味かが理解できます。

また、本書で首を傾げてしまう箇所は、日本が初めて生涯発がん確率のリスクレベルに基づいた基準値の制定は、1996年の「大気環境基準値」でした。その基準が「水道水質基準」にも使い回されてしまい、いったい何を意味した基準なのかがわからなくなってしまう事例なども記述されています。たまたま、本書を読んでいる途中でタバコを吸う友人に会いました。よく健康診断では、「一日あなたは何本タバコを吸いますか?」という質問がありますが、あれ「タールやニコチンの量は関係ないの??」と私的に疑問を持ちました。実は、かなりあいあまいな基準が、ボク達の私生活に氾濫しているわけです。

高速ツアーバス乗務距離の新基準などは、あの2012年4月、関越自動車道で起こった運転手の「居眠り」による国内バス事故としては大惨事後のことであり、基準値の前提条件が変わるのは大抵、大事故・大事件が起こってからだと気付かされます。リスクとベネフィットを天秤にかけ、リスクと上手に付き合うには、その基準となった「根拠」を知る必要性を強く感じさせられました。これが従来とは異なるレギュラトリーサイエンスであり、今そのレギュラトリーサイエンティストが求められていると思います。

多少大げさかもしれませんが、現代人にとって必読の一冊ではないでしょうか。ぜひ、この年末年始にご一読くださいませ。