▼書評 『シベリア抑留-スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』
シベリア抑留-スターリン独裁下、「収容所群島」の実像
著者 富田 武
出版社 中央公論新社
発行 2016 12/25
《いつダモイ(帰国)か?》
『シベリア抑留』の類の書籍は多数出版されております。恥ずかしながら、この抑留に関する書籍を読了したのはボクは初めてでした。著者は、ソ連政治・日ソ関係史を専門とする成蹊大学の名誉教授です。ロシアの資料も駆使しながら抑留問題に迫った点も本書の特徴であろうかと思います。
シベリア 抑留は、日本人のみ悲劇と見なされておりますが、そうではなくドイツと同盟国の捕虜となった将兵は約300万人といわれております。
歴史の史実として、ソ連が国民経済復興のために労働力として日本軍将兵を自国に拘束=抑留したことは、ハーグ陸戦法規、ジュネーブ条約、ポツダム宣言に対して紛れもなく違反していたという事実です。すなわち、ソ連による日本軍捕虜の扱いが非人道的だったのは、その最初の段階から明らかだったわけです。ソ連は、第二次世界大戦で2000万人を超える死者を出しました。そこで、ソ連の最高指導部は、戦後の経済復興に不可欠な労働力としてドイツ及び同盟国軍の捕虜を使役とすることを、大戦の途中で決めていたといいます。それも、テヘラン会談(ルーズ・ヴェルト、チャーチル、スターリンによる戦後処理のために会談)前に使役を「人的賠償」と位置付けていたのです。
本書では、スターリン独裁下で始まった、非人道的な「矯正収容所」をモデルにした抑留の悲劇を追い、抑留された方々の回想記も交えながら生々しくも記述されております。
そこには、よく語らえる三重苦(飢餓、酷寒、重労働)や労働等級を決める皮下脂肪のチェックには、女医が捕虜の尻をつねって計測し、さらにはカ二バリズム(人肉食)もあったと報告されています。三重苦などで1945-1946での最初の冬に全抑留期間の約80%が亡くなったといいます。死因は、栄養失調、過酷な長時間労働、不衛生(虱や南京虫)etc..
回想記として
「ただ、自分だけ、どうやって生きるのかの毎日」は、17世紀のトマス・ホッブスの言う「人間が人間に対して狼」=「自然状態」だったのです。
かくして、連合国のなかで抑留が最も長引いたことは、当時は知らされておらず。さらには、ソ連が中央集権国家であるという固定観念は間違いというのが著者の見解です。それは、米ソ捕虜送還協定(1946年12月)の毎月5万人の送還実施をめぐるソ連政府と地方当局の対立から必ずしも、中央集権ではなかったことが窺い知りえます。
1956年の日ソ共同宣言以降に、抑留された方々はわずかな例外を残して送還されました。昨年には、ロシアのプーチン大統領が訪日しました。北方四島問題から目が離せないわけですが、ボクのような方には、歴史の史実をまずは知ることからだと思いました。
著者は、本書では感情移入せずに実直に記述されたという印象が強く残っております。揺れる国際情勢に外交問題はまずは、繰り返しになりますが史実を知ることからです。
皆さんも是非手に取って下さいませ。

著者 富田 武
出版社 中央公論新社
発行 2016 12/25
《いつダモイ(帰国)か?》
『シベリア抑留』の類の書籍は多数出版されております。恥ずかしながら、この抑留に関する書籍を読了したのはボクは初めてでした。著者は、ソ連政治・日ソ関係史を専門とする成蹊大学の名誉教授です。ロシアの資料も駆使しながら抑留問題に迫った点も本書の特徴であろうかと思います。
シベリア 抑留は、日本人のみ悲劇と見なされておりますが、そうではなくドイツと同盟国の捕虜となった将兵は約300万人といわれております。
歴史の史実として、ソ連が国民経済復興のために労働力として日本軍将兵を自国に拘束=抑留したことは、ハーグ陸戦法規、ジュネーブ条約、ポツダム宣言に対して紛れもなく違反していたという事実です。すなわち、ソ連による日本軍捕虜の扱いが非人道的だったのは、その最初の段階から明らかだったわけです。ソ連は、第二次世界大戦で2000万人を超える死者を出しました。そこで、ソ連の最高指導部は、戦後の経済復興に不可欠な労働力としてドイツ及び同盟国軍の捕虜を使役とすることを、大戦の途中で決めていたといいます。それも、テヘラン会談(ルーズ・ヴェルト、チャーチル、スターリンによる戦後処理のために会談)前に使役を「人的賠償」と位置付けていたのです。
本書では、スターリン独裁下で始まった、非人道的な「矯正収容所」をモデルにした抑留の悲劇を追い、抑留された方々の回想記も交えながら生々しくも記述されております。
そこには、よく語らえる三重苦(飢餓、酷寒、重労働)や労働等級を決める皮下脂肪のチェックには、女医が捕虜の尻をつねって計測し、さらにはカ二バリズム(人肉食)もあったと報告されています。三重苦などで1945-1946での最初の冬に全抑留期間の約80%が亡くなったといいます。死因は、栄養失調、過酷な長時間労働、不衛生(虱や南京虫)etc..
回想記として
あの頃は餓死と隣り合わせに生きた捕虜たちにとって、朝晩のわずかな飯を口に入れるということは、人間らしい日々の楽しみというものではもちろんなかった。それはかけがえのない唯一の快楽であった。・・・だからシベリアの捕虜たちが食べ物を前にして、誰もが皆、餓鬼のようになったのは当然のことだった
「ただ、自分だけ、どうやって生きるのかの毎日」は、17世紀のトマス・ホッブスの言う「人間が人間に対して狼」=「自然状態」だったのです。
かくして、連合国のなかで抑留が最も長引いたことは、当時は知らされておらず。さらには、ソ連が中央集権国家であるという固定観念は間違いというのが著者の見解です。それは、米ソ捕虜送還協定(1946年12月)の毎月5万人の送還実施をめぐるソ連政府と地方当局の対立から必ずしも、中央集権ではなかったことが窺い知りえます。
1956年の日ソ共同宣言以降に、抑留された方々はわずかな例外を残して送還されました。昨年には、ロシアのプーチン大統領が訪日しました。北方四島問題から目が離せないわけですが、ボクのような方には、歴史の史実をまずは知ることからだと思いました。
著者は、本書では感情移入せずに実直に記述されたという印象が強く残っております。揺れる国際情勢に外交問題はまずは、繰り返しになりますが史実を知ることからです。
皆さんも是非手に取って下さいませ。