■書評 聖書考古学-遺跡が語る史実聖書考古学
著者 長谷川修一
出版社 中公新書
発行 2013 02/25
今回の書評BLOGはで169冊目になるが、イスラエルの関連書籍は初めてである。その点、ボクにとっては刺激的であり、思わず「考古学って面白い」と口走ってしまった。世界の三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とすべてが中東の地で誕生した。よってそれらの人々にとっては心のよりどころになっているのも事実であり、グローバルな時代、押さえておきたい地域ということで今回は本書をセレクト。
まず、「聖書考古学」という概念であるが、その名のとおり「聖書」と「考古学」という2つの言葉を合わせた学問であるのだが、聖書の歴史的文献を目とし、考古学発掘の成果によって聖書記述の史実性を裏付けることである。著者は、イスラエルのテルアレブの大学に7年間在籍しその後ドイツで一年間研究の終え本書はいわば、途中経過の集大成的な書籍であろう。
聖書の伝承は、いわば神話的なことも加味され残念ながらそのままの形で受け入れがたいものも多い。そこで、放射性炭素年代測定法を用いて遺構の調査に重きが置かれている。なぜ遺構か?それは、持ち運びできない点にある。実際本書をご一読いただければわかるのだが、聖書と考古学の年代のズレも多いのも事実である。
その中でも、ニュートラルな視点で描かれた考察は見事ではないだろうか?
私的として前々から興味があったのは、出エジプト記の「モーセ」である。イスラエル人と生まれたモーセ。その頃イスラエル人に生まれる子どもはすべて殺すようエジプト人から命令が下っていた。しかし、ファラオの王女がモーセを見て不憫に思いモーセを育てるが、イスラエル人と知ったモーセは同胞のエジプト人を殺してしまう。
そして、イスラエルの民をエジプトから去らせよう願いでるが、それを承知しなかったファラオは災いに・・エジプト人の初子や家畜がすべて死ぬという始末だ。しかし出エジプト記のこの史実性を証明することは困難なのである。なぜなら、その舞台となった文献もなければ、年代を決める手がかりもないという。
また、「トム・ソーヤの冒険」のエピソードは、皆さんもご存じかも知れない。そう巨人ゴリアテ対少年ダビデといえば、ミケランジェロ作のダビデ像が有名であるが、ここでも時代錯誤の要素もあるようで、ダビデとゴリアテを倒した、という事実は歴史的に否定されてはいないが、後代において、また潤色されているのもまた事実である。
2012年からは、アブラハムとイクサの舞台となったテル・べエル・シェバに慶応義塾大の杉本氏など現地に入り新しい調査がはじまっているが、著者が嘆いているのがパレスチナ自治区では、全く手づかずの遺跡もあり、その他ヨルダン、シリア、レバノンと政治情勢から発掘が進まない地域も多いという。これを解消するには「世界平和」の一言に尽きる。
本BLOGにおいては、この学問について全く無知を承知で記述した。ただ、聖書と歴史的史実をもっと理解すれば、教養も深まり俄然「ユダヤ人」に関して興味が増す。また中東関連の良書があれば是非手にしたいと思う。