■書評 バチカンの聖と俗 -日本大使の一四〇〇日
バチカンの聖と俗
著者 上野 景文
出版社 かまくら春秋社
発行 2011 07/30
今年1月に日本全国3万社ある「お稲荷」さんの総本山、「伏見稲荷大社」へ旅行で行った。
やはり総本山、威厳が違う。何か身体に訴えかけられるものを感じた。
今日は、前々から気になっていた場所、「バチカン」。こちらはカトリックの総本山である。
よって、今日はこの書籍をセレクト。
《聖なる国家の俗への挑戦》
実は、日本がバチカンとの正式な外交を樹立したのは、ボクが思っていたより歴史が古く1942年からである。
なんと米国との正式な外交関係樹立は、バチカンは25年前からだそうだ。
よって我が国のほうがが大先輩である。
前バチカン日本大使の視点は3つ。
①「宗教機関」 ②「主権国家」 ③「国際機関」である。
①カトリックの総本山であるからして自明の理であるが、このバチカンカトリック教会は、国際的にみても「ビックドナー」である。アフリカ向けのHIV援助では、全ドナーの総援助量3割を占めるそうだ。
②バチカンの国土は、皇居の4割の国土しか持たない「超ミニ国家」。
しかし立法、司法、行政とすべて権限は法王にある。
そこには首脳レベル来訪が引切り無し。よって外交プレイヤーとしては、大国。
しかし歴史を遡れば生臭い話もある。1870年に統一したイタリア領国に一旦領土を奪われ、丸裸にされた経緯
もある。だからこそ、宗教機関としての純度・高さも桁違いであるのだと思う。
③国際機関としての役割は、「情報力」&「メッセージ力」。
首脳レベルの来訪が絶えることのない点と、世界に約11.7億人の信徒を抱えている。
過日、世界の人口は70億人を突破したので、実に7分の1である。
よって全世界にアンテナが張り巡らされている。
また、守るべき「国益」がないために、道徳性・中立性に富んだ発言もバチカンならではである。
では、バチカンの抱える問題点とは?
ずばり、アジアである。とりわけ、世界1・2位の人口を有する中国・インドとの関係だ。
北京の大使もニューデリーの大使もいない。これがバチカン最大の弱点だと著者は指摘する。
さらに、バチカンにとって一番疎遠な地域も、実はアジア」なのである。
これから「アジア」の時代ともいわれる中、やはり著者の指摘は間違っていないとボクは思う。
最後に、日本で「バチカン市国」と呼ばれるこの国は、「HORY SEE」という国名を合わせ持つ。
SEEは椅子の意味で、聖座又は法王座とも訳される。宗教的だとHSであると著者は言う。
これは「法王国」と意訳する。この先までいくと、残念ながらボクの知識では理解できない。
文中にも記したが、時代が欧州からアジアへと変遷する潮流は、バチカンでも当然感じているはずである。
また、西欧では宗教離れが進み、他の地域では逆に宗教が復権しているという。
どうやらバチカンも伝統を守りつつ、新たな思潮との関係を模索する時期に来ていると本書を通してボクは強く感じた。