2010年08月
「パリが沈んだ日 セーヌ川の洪水史」 著 佐川 美加
出版社 白水社 ¥2,520-
この夏、どれくらいの方が、円高・ユーロ安を利用しパリへ旅行へいったのだろうか?
さて、過去、2度ほど、パリへ訪問した事のあるボクは、この事実をしらなかった。1910年、今年がパリ大災害から、100年目だったという事を本書は、2部で構成されている。
①まずは、河川地理学だ。たとえば、ノートルダム寺院の地質注状は、下層から第三紀石灰岩層、洪積層、沖積層、そして盛土。というようになっている。まるで、ここの章では、地質学が勉強できる。
②そして、1910年、パリがセーヌに沈む日が訪れる。20世紀初頭のパりは時代の最先端都市、すでに万国博覧会を5回も成功させ、5800もの街頭時計やエレベータ、カプセル電報など動かしていたという。
1910年、1月19日にセーヌ川の支流が氾濫を起こし、始めた。
さらには、1月20日には、船の航行が禁止された。となると、パリの1月は、当然、食料と燃料が、遮断されてしまうのだが、他の地域からの援助があり、この世紀の大洪水でなくなられた方は、なんとたった一人だったそうだ。
1月21日、サンジェルマン通りが沈没し、25日にはモンテーニュ通りが、湖に、オルセー駅が、1メートル水没だ。この章を読んでいると、まるで映画を観ている感覚になる。
また、この本のすばらしい、ところは、著者は、「パリ」という街を本当に愛していることだとボクは思う。
セーヌ川の源泉のある村や、アルマ橋のズワーヴ像など。パリのいわば観光案内になっているところも粋なのだ。結論としては、増水した氾濫した支流が、パリに合流したため、沈没した。
1991年、「パリのセーヌ川河畔、シュリー橋からイエナ橋まで」の間は、ユネスコの世界自然文化遺産に登録された。
世界の宝、ルーブル美術館などは、現在、警察、環境省、内務省など、最新鋭のインターネットなどを駆使し、収蔵品移動マニュアルなどしっかりと整備されている。
また、パリへ行きたくなってしまった。
出版社 白水社 ¥2,520-
この夏、どれくらいの方が、円高・ユーロ安を利用しパリへ旅行へいったのだろうか?
さて、過去、2度ほど、パリへ訪問した事のあるボクは、この事実をしらなかった。1910年、今年がパリ大災害から、100年目だったという事を本書は、2部で構成されている。
①まずは、河川地理学だ。たとえば、ノートルダム寺院の地質注状は、下層から第三紀石灰岩層、洪積層、沖積層、そして盛土。というようになっている。まるで、ここの章では、地質学が勉強できる。
②そして、1910年、パリがセーヌに沈む日が訪れる。20世紀初頭のパりは時代の最先端都市、すでに万国博覧会を5回も成功させ、5800もの街頭時計やエレベータ、カプセル電報など動かしていたという。
1910年、1月19日にセーヌ川の支流が氾濫を起こし、始めた。
さらには、1月20日には、船の航行が禁止された。となると、パリの1月は、当然、食料と燃料が、遮断されてしまうのだが、他の地域からの援助があり、この世紀の大洪水でなくなられた方は、なんとたった一人だったそうだ。
1月21日、サンジェルマン通りが沈没し、25日にはモンテーニュ通りが、湖に、オルセー駅が、1メートル水没だ。この章を読んでいると、まるで映画を観ている感覚になる。
また、この本のすばらしい、ところは、著者は、「パリ」という街を本当に愛していることだとボクは思う。
セーヌ川の源泉のある村や、アルマ橋のズワーヴ像など。パリのいわば観光案内になっているところも粋なのだ。結論としては、増水した氾濫した支流が、パリに合流したため、沈没した。
1991年、「パリのセーヌ川河畔、シュリー橋からイエナ橋まで」の間は、ユネスコの世界自然文化遺産に登録された。
世界の宝、ルーブル美術館などは、現在、警察、環境省、内務省など、最新鋭のインターネットなどを駆使し、収蔵品移動マニュアルなどしっかりと整備されている。
また、パリへ行きたくなってしまった。
「田中角栄の昭和」 著 保阪 正康
出版社 朝日新書 ¥945-
皆さんにとって、昭和の首相と言えば、一番記憶の残っている人物は、誰ですか?ボクは、田中角栄です。しかし、はずかしい事に、この人物は、いったい何者なのかと問われれば、小学校しか、出ておらず、ロッキード事件で悪い事をした人、それくらいの知識だった。
本書は、田中角栄の生い立ちから、その生涯を文庫で、うまくまとめられている。
とにかく、ずば抜けた記憶力、先見性、引き際の美学(出る時は、打って出る)10代で、起業した、経験から得たものか、それとも天才か?その判断は、人それぞれだが、ちょうど、ボクが、生まれた頃、田中角栄第一次内閣が、発足した。今太閤、庶民宰相、ブルドーザー付きコンピュータなど、いろいろ呼び名があったようだ。
しかし、自民党政権は、間違いなく1970年代、田中角栄によって変わったことは、事実だ。
その一つは、金の力。かつて、一昔前、一番集金力がある職業は、政治家といった事を新聞で読んだ事がある。
官僚にも、金が回り、今日の特殊法人などが、その名残だ。そして、もう一つ名残がある。政治家、小沢一郎氏とボクは思う。小沢氏が、田中角栄時代のレジームを継承していると思えてならない。もう、そろそろ、いや早急に、このレジームからの脱却と、真の日本のリーダーが現れることを祈るしかないのか。今は。。。
事実は、時代の流れか、社会の要請か。田中角栄が、票を集め宰相になった事は、事実である。
これは、国民の選択であったいうことだ。
出版社 朝日新書 ¥945-
皆さんにとって、昭和の首相と言えば、一番記憶の残っている人物は、誰ですか?ボクは、田中角栄です。しかし、はずかしい事に、この人物は、いったい何者なのかと問われれば、小学校しか、出ておらず、ロッキード事件で悪い事をした人、それくらいの知識だった。
本書は、田中角栄の生い立ちから、その生涯を文庫で、うまくまとめられている。
とにかく、ずば抜けた記憶力、先見性、引き際の美学(出る時は、打って出る)10代で、起業した、経験から得たものか、それとも天才か?その判断は、人それぞれだが、ちょうど、ボクが、生まれた頃、田中角栄第一次内閣が、発足した。今太閤、庶民宰相、ブルドーザー付きコンピュータなど、いろいろ呼び名があったようだ。
しかし、自民党政権は、間違いなく1970年代、田中角栄によって変わったことは、事実だ。
その一つは、金の力。かつて、一昔前、一番集金力がある職業は、政治家といった事を新聞で読んだ事がある。
官僚にも、金が回り、今日の特殊法人などが、その名残だ。そして、もう一つ名残がある。政治家、小沢一郎氏とボクは思う。小沢氏が、田中角栄時代のレジームを継承していると思えてならない。もう、そろそろ、いや早急に、このレジームからの脱却と、真の日本のリーダーが現れることを祈るしかないのか。今は。。。
事実は、時代の流れか、社会の要請か。田中角栄が、票を集め宰相になった事は、事実である。
これは、国民の選択であったいうことだ。
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