▼書評 『港の日本史』

港港の日本史

著者 吉田 秀樹+歴史とみなと研究会
出版社 祥伝社
発行 2018 03/10








《Q: 人道の港ってどこの港??》
はじめに・・今年、小職は滋賀県へ旅行に出かけたが、次の関西旅行は「兵庫県」と決めております。理由(わけ)は、兵庫県=日本の縮図だからです。国宝・姫路城、宝塚、有馬温泉、但馬牛、日本酒のルーツも兵庫県であるとされ、春の選抜の甲子園etc..そして、神戸港です。2017年1月1日に神戸港は、150周年を迎えました。

信州の山々に囲まれて暮らしていると、我が国が「海洋国家」ということを忘れることがあります。しかし、近年はインバウンドといわれるように、中国・台湾などからの観光客の増加が顕著だといいます。2017年には、外国人のクルーズ船による訪日客は2013年の15倍になる250万人を超え、約10人にひとりはから日本に入国しているといいます。「港」という文字も古代から現代まで時代とともに変化してきました。神戸港の位置にあった務古水門など、「水門」や、日本の地名では「津」、「浦」、「泊」といった語も「みなと」を意味していたといいます。

著者は、運輸省(国土交通省)に入省後、おもに港湾関係の業務に携わり敦賀港、新潟港、北九州港などの事務所長などを歴任しております。非常に読み手にわかりやすいタッチで筆致されておりますので、港巡りをされる方にはとりわけおススメです。

函館港、長崎港、横浜港、神戸港、新潟港の開港5港と横須賀製鉄所が、日本の近代化においてのスタートです。歴史、文化、輸出入品、商人、灯台など、さらには人と物の結節点であり続ける港、各港にはそれぞれのストーリーがあって面白いです。

たとえば、本書の第三章の「世界史に名を残す港はどこか」の章では、博多津、堺津、坊津、安濃津、長崎、下田と列記されておりますが、まず、堺旧港の跡地に立つ旧堺燈台は1877年に設置された日本最古の木製灯台であり、そして、坊津という地名は583年(敏達天皇12)年に百済の伴侶・日羅がこの地に建てた一乗院の坊舎に由来するとされるということ、さらには小職が興味を持ったのが、「安濃津」です。薩摩の坊津、筑前の博多津とともに「日本三津」と記されるほどです。それが「伊勢参り」です。非常に興味を惹かれました。遣隋使船、遣唐使船は「住吉大社」で航海の祈願をしてから住吉津を出港、時代下って江戸時代に入り、江戸からの参宮の場合、尾張の熱田まで来ると、対岸の桑名まで「七里の渡し」と呼ばれた海路で伊勢湾を渡るのが通例とあったからです。熱田には、この航海の安全のために設置された常夜灯が現在でも残っているそうです。当然今とは交通の便や所要時間の違いは認識しておりましたが、そうだったのかと膝を叩いてしまいました。庶民には移動を制限されていた時代、しかし寺社への参詣は例外でした。江戸後期には讃岐の金刀比羅宮への参詣が増加し、瀬戸内海では大坂や九州と讃岐の丸亀や多度津を結ぶ乗合船の「金毘羅船」が運航されたそうです。

ところで、皆さんは「河岸」はと問われれば??どのようにお答えするでしょうか??「河岸」=「魚市場」のことではなく、もともと、河岸とは川に面して船から人や荷物を揚げたりおろしたりする場所をさす言葉だそうです。その河岸が19世紀初頭の文政年間には江戸市中に200近い河岸があり、関東各地では300近くあったとされます。

その他興味を惹く港も盛りだくさんです。團琢磨という技術者は経営感覚と先見性を持ち合わせた人物で、100年先を見据えて福岡県大牟田市に位置する「三池港」を築港、明治日本の産業革命遺産—製鉄、製鋼、造船、石炭産業のひとつとして世界遺産に登録された「三角西港」..etc..近代港湾に携わったお雇い外国人のデ・ケーレなども忘れてはいけませんね。

それぞれの港のものがたり。今では、「コンテナ」大戦争が起こっているのでしょうね。その最たる例がサンフランシスコ湾です。書籍『外来種は本当に悪者か?-新しい野生THE NEW WILD』によれば、サンフランシスコ湾は、「バラスト水」が一番排出されるので外来種の上陸も一番多いと聞きます。それはともかく、日本史を「港」から攻めてみる。きっと面白いはずです。

《A:敦賀港 です》 外交官:杉原千畝がユダヤ人難民にビザを発給し数千を超えるユダヤ人が救われました。その際ユダヤ人たちは、ロシアウラジオストクから福井県・敦賀港に上陸、これ以外にも、「1920年ポーランド孤児 1940年ユダヤ難民 上陸地点」とかつての桟橋跡に銘板が埋め込まれているそうです。