■書評 フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか
フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか
著者 浦久 俊彦
出版社 新潮新書
発行 2013 12/20
はじめに・・ボクの最近のマイブームは美術館・博物館巡りである。今年は「ラファエル前派展」に行ったが、フェルメールやレオナルド・ダ・ヴィンチのような超メジャーではなかったので音声ガイドの別途料金を支払い鑑賞した。そこで、やはり時代背景の大切さを改めて実感したしだいである。本書はフランツ・リストの人生を時系列に追った類の書籍ではなく、リストとその時代背景を見事に結びつけボクのようなあまりクラシック音楽を聴かない方にもオススメの好書である。
さて、本題に移ろう。クラシックファンを含めて史上最高のピアニストは誰?と問われれて、フランツ・リストと真っ先にあげる方は少ないと思う。何故なら本書によればリストに関する書籍を我が国の書店で購入しようとしても僅か一冊しかできないという。ちなみにショパンに関する書籍は約20冊ほどだそうだ。ハンガリーの小さな寒村で生まれ育ったリスト。音楽愛好家だった父アダムの影響もあり6歳のころ音楽に触れ、その2年後には信じられない正確さで、楽譜を一目見ただけであらゆる曲を弾きこなした。その後、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトなどの大作曲家が活躍したウィーンに家族ともども引っ越した。この地でベートーベンが最も信頼したツェルニーに教えを請う。そのツェルニーを唸らせるほどの天才だったという。そのころリストはわずか10歳ころである。まさに神童現るである。ツェルニーといえば、いまも世界で愛用されているピアノ練習曲で当時ウィーンで最も人気のあった教師である。
父アダムはリストが15歳の時にこの世を去り、またこの年頃で滑稽のような見世物に疑問が生まれリストは鬱病と闘う。そんななかリストは初恋をし、フロイトなどの書物を読みあさり猛勉強し一時は神学の道に迷った時もあったそうだ。リストの転機は、1830年の七月革命に訪れる。「七月革命」とはなんだったのか?端的にいえば、ブルジョワという新たな権力集団の出現である。これがリストにとって追い風となる。かくして、七月革命をきっかけにリストは醒め、ブルジョワたちがリストがピアノ界に君臨する鍵となったのだ。これが本書のタイトル「なぜ女たちはリストを失神させたのか」に結びつく。
リストのフランスでもデビューはイタリア座で行われた。当時イタリア座はパリで最もエレガントな劇場だったそうだ。よって観衆は、「サヨニエール(サロンの女主人)」に限られていた。今でいえばプルトクラートの夫人限定公演だったのであろう。またリストの天才肌はピアノの超絶技術だけに止まらず、ビジネスセンスも兼ね備えていたことだろう。それが、「スキャンダル」。15歳年上のアデーレ・ラプリュナーレド侯爵夫人とのアバンチュールがその象徴だ。このスキャンダルが逆にアデーレの「噂の若い恋人」の一目見てみたいとパリの社交界で話題となり、より一層名声を得る。
また、リストが音楽界に多大な影響を与えた。ピアノリサイタルとして発明された瞬間に「ピアニスト」が生まれ、セバスティアン・エラールのグランド・ピアノのデモンストレーターもリストである。本書によればリストが公演した回数は、およそ1000回これを8年でこなした。平均3日に一回の公演回数であったことから並外れたいたことがわかる。しかも飛行機などない時代である。そして、収益の約半分は慈善事業や孤児院、大学などに寄付をした。
リストの人生の後半?35歳で史上最高のピアニストの称号を捨て去り、ワイマールの宮廷楽長に就任する。そこでは来るもの拒まず。リストの包容力と器の大きさを窺える。音楽とは、宗教でもあったリストにとって、宗教的な精神そのものだったリストは晩年、聖職者となったのはいわば必然かも知れない。
それでは、リストがリストたる所以とは?それはアインシュタイン同様、芸術を統合させる統一理論の探求だったと思われる。本書を読んだ限りでは、「最高」ではなく、「最強」のピアニストはフランツ・リストであろう。きっと本書をきっかけにリストファンが増えることは間違いないと思う。

著者 浦久 俊彦
出版社 新潮新書
発行 2013 12/20
はじめに・・ボクの最近のマイブームは美術館・博物館巡りである。今年は「ラファエル前派展」に行ったが、フェルメールやレオナルド・ダ・ヴィンチのような超メジャーではなかったので音声ガイドの別途料金を支払い鑑賞した。そこで、やはり時代背景の大切さを改めて実感したしだいである。本書はフランツ・リストの人生を時系列に追った類の書籍ではなく、リストとその時代背景を見事に結びつけボクのようなあまりクラシック音楽を聴かない方にもオススメの好書である。
さて、本題に移ろう。クラシックファンを含めて史上最高のピアニストは誰?と問われれて、フランツ・リストと真っ先にあげる方は少ないと思う。何故なら本書によればリストに関する書籍を我が国の書店で購入しようとしても僅か一冊しかできないという。ちなみにショパンに関する書籍は約20冊ほどだそうだ。ハンガリーの小さな寒村で生まれ育ったリスト。音楽愛好家だった父アダムの影響もあり6歳のころ音楽に触れ、その2年後には信じられない正確さで、楽譜を一目見ただけであらゆる曲を弾きこなした。その後、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトなどの大作曲家が活躍したウィーンに家族ともども引っ越した。この地でベートーベンが最も信頼したツェルニーに教えを請う。そのツェルニーを唸らせるほどの天才だったという。そのころリストはわずか10歳ころである。まさに神童現るである。ツェルニーといえば、いまも世界で愛用されているピアノ練習曲で当時ウィーンで最も人気のあった教師である。
父アダムはリストが15歳の時にこの世を去り、またこの年頃で滑稽のような見世物に疑問が生まれリストは鬱病と闘う。そんななかリストは初恋をし、フロイトなどの書物を読みあさり猛勉強し一時は神学の道に迷った時もあったそうだ。リストの転機は、1830年の七月革命に訪れる。「七月革命」とはなんだったのか?端的にいえば、ブルジョワという新たな権力集団の出現である。これがリストにとって追い風となる。かくして、七月革命をきっかけにリストは醒め、ブルジョワたちがリストがピアノ界に君臨する鍵となったのだ。これが本書のタイトル「なぜ女たちはリストを失神させたのか」に結びつく。
リストのフランスでもデビューはイタリア座で行われた。当時イタリア座はパリで最もエレガントな劇場だったそうだ。よって観衆は、「サヨニエール(サロンの女主人)」に限られていた。今でいえばプルトクラートの夫人限定公演だったのであろう。またリストの天才肌はピアノの超絶技術だけに止まらず、ビジネスセンスも兼ね備えていたことだろう。それが、「スキャンダル」。15歳年上のアデーレ・ラプリュナーレド侯爵夫人とのアバンチュールがその象徴だ。このスキャンダルが逆にアデーレの「噂の若い恋人」の一目見てみたいとパリの社交界で話題となり、より一層名声を得る。
また、リストが音楽界に多大な影響を与えた。ピアノリサイタルとして発明された瞬間に「ピアニスト」が生まれ、セバスティアン・エラールのグランド・ピアノのデモンストレーターもリストである。本書によればリストが公演した回数は、およそ1000回これを8年でこなした。平均3日に一回の公演回数であったことから並外れたいたことがわかる。しかも飛行機などない時代である。そして、収益の約半分は慈善事業や孤児院、大学などに寄付をした。
リストの人生の後半?35歳で史上最高のピアニストの称号を捨て去り、ワイマールの宮廷楽長に就任する。そこでは来るもの拒まず。リストの包容力と器の大きさを窺える。音楽とは、宗教でもあったリストにとって、宗教的な精神そのものだったリストは晩年、聖職者となったのはいわば必然かも知れない。
それでは、リストがリストたる所以とは?それはアインシュタイン同様、芸術を統合させる統一理論の探求だったと思われる。本書を読んだ限りでは、「最高」ではなく、「最強」のピアニストはフランツ・リストであろう。きっと本書をきっかけにリストファンが増えることは間違いないと思う。
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