■書評 吉田神道の四百年-神と葵の近世史
吉田神道の四百年
著者 井上 智勝
出版社 講談社選書メチエ
発行 2013 01/10
読書の秋ですね!皆さんは書籍をご購入する際何を基準にされますでしょうか?ランキング買い、タイトル買い、著者買い、今回の書籍は帯タイトル買いです。時にボク達日本人は、「困った時の神頼み」「神に誓って×××」なんて神様に頼るケースや神の存在を信じるケースがあります。天下人秀吉も足利義満、徳川家康も頼った「神使い」とは?興味をそそります。
さて、本書に移ろう。この書籍は天児屋命(あめのみこと、春日権現)を祖先神とする京都の吉田山に鎮座する吉田神社の400年の歴史を綴ったものである。以前の本書評BLOGの「中世の貧民」のように時代は混沌とし、時の天下人と呼ばれる人たち=水戸黄門、徳川綱吉も「神」に頼ったというわけである。それが最終的には吉田家と新道は、「明治国家」をも準備したのである。
それまでの経緯(いきさつ)には、さまざまな吉田家の山あり谷ありの物語があり、まずは、仏教から独立した唯一の新道を主張し全国の神社に各種の証状を授与しまくることで拡大した吉田神道であったが仏教との軋轢。
だまっていなかったのが、その最たる例が「伊勢神宮」であろう。
例えば中世では、信州・真田昌幸は、領内での富士・三島・伊勢・熊野・愛宕などの先達の権利を山伏にのみ認めたが、京都にある修道院が総本山であり、そこで注目されたのが吉田家であった。なぜならば、神職たちは、この頃、「聖護院御門跡様」に対抗するべく頼る神様を探していたのだ。結果、神道裁許状を5名が譲り受ける。
また徳川家では、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利し実質的に天下を掌握すると下総国(茨城県南西部)の実子結城家へ。四郎兵衛が同じく神道裁許状を受ける。上述したように吉田家のような神社・神職は「本山」ならぬ「本所」と呼ばれ、頼りに来るものからは「御本所様」とまで崇められ、江戸時代には神社の代表の地位の確執が各地で見られたが、その地位を確保してくれたのが、そう吉田家であり、神道裁許状だった。
そんな中、社会にはある噂が立ち始める「伊勢神宮のご神体が悲惨な世相に愛想をつかし、どこかへ飛び去ってしまった」というものである。当時の吉田家の存在は、ボク達の想像をはるかに超える影響力を誇っていたのであろう。天下人を祭り上げ、幕府を巧みに利用し、自らも天下人たる自負を高めた吉田家は、ある意味戦略家である。本書では、お米の価格でそのカネの流れが確認できるので参考にしていただきたい。
そんな吉田家であるがその崩壊は、現在の企業でいえば、「内部告発」から始まり、伊勢神宮の出口延伸は吉田兼俱を「神敵」と呼びその子延経(のぶつね)が、綿密な考証を吉田家に突きつけ崩れ去った。それから上述した明治国家へと辿りつく。「江戸時代の人たちは、天皇を意識することはほとんどなかったであろうが、そこにつながるための端末は、江戸時代の神社を通じて、確実に埋め込まれたいた」と。
本書は、神道ワールドの歴史的側面を見事に表現した書籍であろう。

著者 井上 智勝
出版社 講談社選書メチエ
発行 2013 01/10
読書の秋ですね!皆さんは書籍をご購入する際何を基準にされますでしょうか?ランキング買い、タイトル買い、著者買い、今回の書籍は帯タイトル買いです。時にボク達日本人は、「困った時の神頼み」「神に誓って×××」なんて神様に頼るケースや神の存在を信じるケースがあります。天下人秀吉も足利義満、徳川家康も頼った「神使い」とは?興味をそそります。
さて、本書に移ろう。この書籍は天児屋命(あめのみこと、春日権現)を祖先神とする京都の吉田山に鎮座する吉田神社の400年の歴史を綴ったものである。以前の本書評BLOGの「中世の貧民」のように時代は混沌とし、時の天下人と呼ばれる人たち=水戸黄門、徳川綱吉も「神」に頼ったというわけである。それが最終的には吉田家と新道は、「明治国家」をも準備したのである。
それまでの経緯(いきさつ)には、さまざまな吉田家の山あり谷ありの物語があり、まずは、仏教から独立した唯一の新道を主張し全国の神社に各種の証状を授与しまくることで拡大した吉田神道であったが仏教との軋轢。
だまっていなかったのが、その最たる例が「伊勢神宮」であろう。
例えば中世では、信州・真田昌幸は、領内での富士・三島・伊勢・熊野・愛宕などの先達の権利を山伏にのみ認めたが、京都にある修道院が総本山であり、そこで注目されたのが吉田家であった。なぜならば、神職たちは、この頃、「聖護院御門跡様」に対抗するべく頼る神様を探していたのだ。結果、神道裁許状を5名が譲り受ける。
また徳川家では、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利し実質的に天下を掌握すると下総国(茨城県南西部)の実子結城家へ。四郎兵衛が同じく神道裁許状を受ける。上述したように吉田家のような神社・神職は「本山」ならぬ「本所」と呼ばれ、頼りに来るものからは「御本所様」とまで崇められ、江戸時代には神社の代表の地位の確執が各地で見られたが、その地位を確保してくれたのが、そう吉田家であり、神道裁許状だった。
そんな中、社会にはある噂が立ち始める「伊勢神宮のご神体が悲惨な世相に愛想をつかし、どこかへ飛び去ってしまった」というものである。当時の吉田家の存在は、ボク達の想像をはるかに超える影響力を誇っていたのであろう。天下人を祭り上げ、幕府を巧みに利用し、自らも天下人たる自負を高めた吉田家は、ある意味戦略家である。本書では、お米の価格でそのカネの流れが確認できるので参考にしていただきたい。
そんな吉田家であるがその崩壊は、現在の企業でいえば、「内部告発」から始まり、伊勢神宮の出口延伸は吉田兼俱を「神敵」と呼びその子延経(のぶつね)が、綿密な考証を吉田家に突きつけ崩れ去った。それから上述した明治国家へと辿りつく。「江戸時代の人たちは、天皇を意識することはほとんどなかったであろうが、そこにつながるための端末は、江戸時代の神社を通じて、確実に埋め込まれたいた」と。
本書は、神道ワールドの歴史的側面を見事に表現した書籍であろう。
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