■書評 解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

25744547_1解剖医ジョンハンターの数奇な生涯
著者 ウェンディ・ムーア
訳者 矢野真千子
出版社 河出文庫
発行 2013 08/20


この書籍は、ジョン・ハンターという人物の伝記である。ただ、小学生向けのような各界の有名人の伝記の類ではないところが本書の醍醐味である。時は遡ることジョージ王朝時代。この時代の外科医は新石器時代と同じく、患者の頭にキリの穴を開け、頭蓋の一部をとりのぞかれて脳内の血圧が下がり助かる患者もいた、そんな時代である。そう、ヒポクラテスの時代から西洋医学は進歩していなかったのだ。ところで少々わき道に逸れるが、床屋さんでクルクル回転している縦のラインは、赤が血、白が包帯を意味する。

そこに登場したのが、農家出身のハンター兄弟である。兄のウィリアム・ハンターは、秀才で要領がよく医者として財産をしっかり築きあげていく。あのアダム・スミスやギボンも兄のウィリアムの講義を聞きにきたくらいである。対称的なのが、弟のジョン・ハンター。睡眠時間は平均4時間、あらゆる動物やヒトの解剖に明け暮れる。文学は大嫌いで徹底した現場主義を貫き、観察し、推論し、そして実験をする。まず弟のハンターが行ったのは死体泥棒だ。人体の知識を高めたいにも関わらずこの時代英語圏では、法を犯さずして死体を入手できなかった。ハンターは、あらゆる手を尽くし死体を入手し後に「死体復活屋」とまで呼ばれ一大産業を築く。兄との形勢が逆転するのは、その経験量であったであろう。病理解剖学、拡張術、さらには理学療法はジョン・ハンターが生みの親である。何よりもすばらしい点は、何事も「無」から始めたことであろう。「読む」のは書籍ではなく人体だった。骨はどのように成長するのか?そんな素朴の疑問からあらゆる解剖に興味を持ち犬や馬、ロバゆくゆくは、あらゆるすべての動物がハンターのもとに集まるようになる。

他方、兄のウィリアムは着実の実績を積み、王室のお産を合計15回も監督する「王室特別任用医」まで指名されたが、栄えある王立協会の会員には兄のウィリアムよりもジョン・ハンターのが早くなったのだ。それだけ部下の信頼や周りの人間の信頼が厚かったのであろう。さらにハンターが解剖した、ジェームズ・クックが持ち帰ったカンガルーやアフリカからのキリンは、当時の時代背景からしてどきもを抜いた動物であったであろう。そして解剖学者が競い合ったのが、アイルランド人の巨人・身長八フィート三インチの大男の死体である。この死体を勿論ハンターが手にしたわけであるが、世の中のめずらしい生き物すべてにお金を惜しむことなくつぎ込み念願の博物館建設へとこぎ着ける。

この博物館がゆくゆく「ジキル博士とハイド氏」のモデルの博物館となるわけであるが、表玄関からは、各界の来賓が、裏口からは死体が運び込まれる奇妙な博館である。何しろ1400のアルコール漬けの動物と人間の器官、1200にも及ぶ頭蓋骨、6000点の病理標本、3千点以上の化石のコレクションは、まぎれもなくこの時代のこの国一番だったはずだ。かくしてジョン・ハンターはジョージ三世の特命外科医に任命され、グーデンベルクの王立協会などの国際的な称号を得るが、私的にはあまりそのような称号には興味がなかったと思われる。そんなハンタが怒りを爆発させたのが、聖ジョージ病院を自らが引退する際の後釜に以前からハンターに妬みをもっていた同僚の部下が任命された時である。

チャールズ・ダーウィンの「種の起源」の発表される70年も前に進化論を見出したジョン・ハンター。ハンターが亡くなった際には借金しか残っていなかった。麻酔もないこの時代、砂糖がバカ売れしていた。さてハンターは、どのように歯の治療をほどこしたのか?エキサイティングな面も是非、ご一読いただきたい。また国富論でおなじみのアダム・スミスもハンターに痔の手術を依頼したなどのエピソードも満載だ。まさに革命解剖医のジョン・ハンター。その功績はハンター博物館=ハンテリアン博物館として世界中にその名を広め、そして、ダーウィンもビーグル号の航海から戻り5年後には、化石を寄贈している。

何かに行き詰った際、又は農業・とりわけ植物を一度「無」・まっさらな状態から見つめ直す。そんな事をボクはジョン・ハンターから学んだ気がする。