■路地裏が文化を生む!-細街路とその界隈の変容

25421588_1著者 増淵 敏之
出版社 青弓社
発行 2012 11/21




《Q 路地裏と聞いて皆さんは何処を思い浮かべますか?》
ボクは、神楽坂と青山界隈です。東京理科大学のある神楽坂。学生達が帰宅すると街は静まり小料理屋がとりわけ印象的である。残念ながら本書には、「神楽坂」についての記述はありませんでした。

では、ジェイン・ジェイコブズは、都市の多様性について次の4点を述べています。
①その地域やその内部のできるだけ多くの部分が、2つ以上の主要な機能を果たさなければならない。
②ほとんどの街区は短くないといけない。つまり、街区や角を曲がる機会が頻繁でなくてはならない。
③地区の古さや条件が異なる各種の建物が混在しなくてはならない。また、この混合は規模が似通ったもの同士でなければならない。
④十分な密度でなければならない。本書では、新宿、渋谷、六本木、原宿、下北沢、秋葉原、吉祥寺、札幌、大阪、京都、広島、福岡を拡大しない路地裏(バックストリート)から見たものある。

クール・ジャパン、とかくアニメ・ゲームが日本のお家芸として持ち上げられる。近年はAKB48をはじめグループアイドルが全盛期なのであろうか?昨今、横浜・伊勢佐木町で生まれたストリートミュージシャン、“ゆず”のようなアーティストが格段に減った気がする。ポジティブに捉えればJ-POPが更なるジャンプアップをするためにしゃがみこんでいる時期と思いたい。著者は都市の文化装置(音楽、文学、劇場、カフェetc..)から見えてくると言うが、本書は著者の趣向であろう。とりわけ音楽に重きが置かれている。路地裏が消えた一番の転換点は、バブル及びバブル崩壊である。道路の幅員が広くなり歩道橋や陸橋がその最たる例であろう。

また、本書はその都市に於ける時代変化の変容が楽しめる。例えば、「新宿」1970年代。新宿コマ劇場裏の「ジャックと豆の木」でタモリ、南伸坊が育てられ、その後新宿2丁目で小松政夫、所ジョージが育ったバックストリートに引き継がれていく。団塊世代の方々からは、「あっ~懐かしい」という声が聞こえてきそうである。

そして、場所は一機に飛び「福岡」へ。1925年当時、長崎・熊本に次いで3位の人口だった福岡。
今では九州一の大都市である。この地はアーティストのメッカだった。甲斐バンド、長渕剛、CHAGE&ASKA、チェッカーズ、さらには昨年末NHK紅白歌合戦に出場を果たしたYUIと錚々たるメンバーである。
ただ、朝日新聞が大阪本社から東京へ移転したように、東京のインキュベーションはやはり魅力なのだ。
音楽、文学、劇場とフェイス・トゥ・フェイスが基本と著者は説くが、IT社会の到来に伴い当然リアルな「場」とヴァーチャルな「場」の並行を考えていかなければならいと思う。
ネットでなんでも検索できる時代だが、地域雑誌が意外に有効打だそうだ。その上で一番危惧されるのは、行政が介入したために札幌や下北沢のようにバックストリートが消滅する方向にあることを住民は監視しなければならない。
そして上述した「福岡」は、人口1000人当たりの学生数は全国3位。1位の京都はまた違った意味でバックストリートを形成してるが、日本のクリエイティブ産業は民間主導で成長してきた経緯があり、それは戦前か若しくは江戸の連綿とした先に現在が存在している。キーは学生なのだ。

最後に、通称:赤プリ跡地でつい先日起工式が行われた。六本木を含め大規模開発の裏で、例えば表参道や青山界隈の平日、一本裏通りに入れば趣きも変わり楽しいものである。
皆さんも是非体験してみてはいかがでしょう?