■ビッグデータ社会の希望と憂鬱

25409277_1ビッグデータ社会の希望と憂鬱

著者 森 健
出版社 河出文庫
発行 2012 11/20


昨年読了した「閉じこもるインターネット-グーグル・パーソナライズ・民主主義」の書籍では、主にグーグルの検索依存による真の思考力という懸念とフィルタリング作用がより浸透することによって個人の関心が弱まってしまうという指摘であった。昨今、耳にするようになった「ビッグデータ」。歴史を遡れば19世紀末の現代版国勢調査らしい。

ビッグデータの定義はいろいろあるが、企業や個人が利用できる処理能力を超えた量・多量な情報のことだ。
本書は2005年に「インターネットはみんなを幸せにしたか?」を執筆しさらに加筆した書籍である。ビッグデータの最大の特徴は、テラバイト、ぺタバイドといった膨大なデータを組み合わせ、社会や企業が有益な情報を得る仕組みだが、その対価をエンドユーザーのボク達が得る事ができても、データそのものを見たり、利用できない非対称性の仕組みだ。

本書の趣旨から記述する。ユビキタス、クラウド、そしてビッグデータはエンドユーザーの視点からではなく、供給側(企業)に沿ったものであるということ。そのきっかけの一つとなったのが2001年の9.11同時多発テロである。その後ロンドンでも2005年同時爆破テロが起き、今やイギリスが監視カメラの台数が一番多いそうだ。
その結果、生体認証(バイオメタリクス)指紋、空港では顔写真はもはや当たり前となっている。これはいわば国家単位による監視社会だ。これを企業に当てはめれば、GPSが導入されている運輸会社は、今何処を何キロでどのルートをと逐一データが本部に送られ、この社員いわく、これでは息が詰まりそうだとぼやく。

さて、ボク達のもっと身近なコンビニエンスストア。ボクはカードを所有していないが、本書ではローソンのPontaカードが紹介されている。例えばこのカードで購入すればどの時間帯に「唐揚げ」が何十代の層の購入されているかわかるという。当然Visaカードとの併用のカード利用すれば家族構成、勤務先、年収etc..と社の情報となるわけだ。よってボク達は会員割引やその他の特典を得ることを引き換えに個人情報(プライバシー)を提供していることになる。これは、現在当たり前の社会となっている。

「閉じこもるインターネット」と重複する部分もあるが、グーグルの検索、アマゾンの購入履歴を活かした商品推奨等、著者が一番懸念しているのは「集団分極化」だ。自らが理解できる範囲しか理解しない。自分とは合わない他者とは関わらない。やはりここでも論理的に支えとなるのは、リスク意識(他者)と信用の担保である。
ネットワークの拡大で誰もが利便性を享受でき実利もある。しかし反対に自分も管理されている立場を決して忘れてはならない。導かれる「見えざる手」が、どちらを向いているのかを真剣に考えなくてはならないだろう。それはボク達自身の問題でもあるからだ。

大宅賞作家による本書は、専門的な用語もなく生活者の視点でこの「ビッグデータ」時代を見つめている。
本書の実に4割くらいは、プライバシーに関する書籍でもある。本書を読了しちょうどスマホからのエアコン操作も解禁になったがまずは、IT社会においてはじめにセキュリティありきである。多様な可能性を秘めるビックデータ、ネット上でのコード(規律)の動向もますます強まると思われる。