■書評 「ゼロリスク社会」の罠 -「怖い」が判断を狂わせる
「ゼロリスク社会」の罠
著者 佐藤 健太郎
出版社 光文社新書
発行 2012 09/20
《リスクに付けるクスリはあるのか?!》
リスクといえば、金融商品がまず思い浮かぶのではないでしょうか?今、手元に3000万所持していたら、日本の大手メガバンク3行に預けておけば、預金は全額保護される。しかし、金利はすずめの涙の涙にもならないほどの歴史上かつてないほどの低金利が続いている。この3000万を株、為替、商品先物に資金をアロケートすればリターンは、預金よりupする可能性はあるが、全額保護とはいかない。
本書のリスクは、「「科学物質」「医療」「健康」に絞られた非常に分かりやすい行動経済学である。これが生活レベルとなると時に「人は合理的で愚か者」という側面が見える。昨今のリスクと言えば、東京電力・福島第一原発事故(通称:フクイチ)の事故以来、ボク達は放射能という目に見えないリスクにさらされることとなった。その放射能を「危険、危険だ」と過剰に避けようとすると別のリスクが存在すると著者はいう。
例えば、3.11未曾有の大震災で多くの尊い人命を失ったその最大の原因は「津波」であった。1万5000人以上である。その際、関西へ本社を移転する、もう「関東には住めない」と関西へ移住した方々などネットで見かけられた。本当にリスクを考えれば、信州・佐久市へ移住することである。なぜなら海岸線から一番遠い街だかだ。
本書の論点は、「生活にあるリスクは、全体で把握し減らしていくことの大切さ」だ。上述したように仮に信州・佐久市に移り住んでも、職の問題、住み慣れた環境、車の所有etc..と新たな生活の負荷が増幅する場合がある。そう、人間のリスク感覚が本能に依存しており、大きくゆがんでいるという事実だ。それは、感情の生き物だから他ならない。
その典型的な例が、2008年日本の食卓を襲った「中国産冷凍ギョーザ」メタミドボスである。この事件が連日マスコミにも大きく取り上げられ一時量販店は、大パニックとなった。しかし確率からすると、違反輸入食品の割合は本書によれば、1位ベトナム、2位アメリカ、3位中国である。ゆえに成熟したリスク認識とは、客観的な根拠に基づた定量的なリスク認識することに他ならないということである。
そこで、ハーバード大学のリスク解析センターが行った、リスクを人々が強く感じる要因を本書より引用する。
①恐怖心、②制御可能性(他人の運転のが怖い)、③自然か人工か(生カキを食べてあたってもそれほどニュースにならない)、④選択可能性、⑤子どもへの関与、⑥新しいリスク、⑦意識と関心、⑧自分に起こるのか、⑨リスクとベネフィット、⑩信頼(政府の正式発表など)。ほとんどが放射能リスクと関連するのだが、その人によって捉え方が多少違うかもしれない。著者によればストロンチウム90には警戒を払うべきと本書で念を押している。2年で消え去る放射能、場合によっては50年以上加味しなければならない放射能もあるのは事実だ。
ただ、リスクを削減しようとすると、別種のリスクが発生してしまうことも事実である。これは現在我々の社会が低リスク社会ゆえのこと。そのためには、リスク分散をはかり、定性的から定量的に物事を捉え、そして、孔子のセリフの「正しい知識を身につけた上で、考えよう」ということなのだろう。

著者 佐藤 健太郎
出版社 光文社新書
発行 2012 09/20
《リスクに付けるクスリはあるのか?!》
リスクといえば、金融商品がまず思い浮かぶのではないでしょうか?今、手元に3000万所持していたら、日本の大手メガバンク3行に預けておけば、預金は全額保護される。しかし、金利はすずめの涙の涙にもならないほどの歴史上かつてないほどの低金利が続いている。この3000万を株、為替、商品先物に資金をアロケートすればリターンは、預金よりupする可能性はあるが、全額保護とはいかない。
本書のリスクは、「「科学物質」「医療」「健康」に絞られた非常に分かりやすい行動経済学である。これが生活レベルとなると時に「人は合理的で愚か者」という側面が見える。昨今のリスクと言えば、東京電力・福島第一原発事故(通称:フクイチ)の事故以来、ボク達は放射能という目に見えないリスクにさらされることとなった。その放射能を「危険、危険だ」と過剰に避けようとすると別のリスクが存在すると著者はいう。
例えば、3.11未曾有の大震災で多くの尊い人命を失ったその最大の原因は「津波」であった。1万5000人以上である。その際、関西へ本社を移転する、もう「関東には住めない」と関西へ移住した方々などネットで見かけられた。本当にリスクを考えれば、信州・佐久市へ移住することである。なぜなら海岸線から一番遠い街だかだ。
本書の論点は、「生活にあるリスクは、全体で把握し減らしていくことの大切さ」だ。上述したように仮に信州・佐久市に移り住んでも、職の問題、住み慣れた環境、車の所有etc..と新たな生活の負荷が増幅する場合がある。そう、人間のリスク感覚が本能に依存しており、大きくゆがんでいるという事実だ。それは、感情の生き物だから他ならない。
その典型的な例が、2008年日本の食卓を襲った「中国産冷凍ギョーザ」メタミドボスである。この事件が連日マスコミにも大きく取り上げられ一時量販店は、大パニックとなった。しかし確率からすると、違反輸入食品の割合は本書によれば、1位ベトナム、2位アメリカ、3位中国である。ゆえに成熟したリスク認識とは、客観的な根拠に基づた定量的なリスク認識することに他ならないということである。
そこで、ハーバード大学のリスク解析センターが行った、リスクを人々が強く感じる要因を本書より引用する。
①恐怖心、②制御可能性(他人の運転のが怖い)、③自然か人工か(生カキを食べてあたってもそれほどニュースにならない)、④選択可能性、⑤子どもへの関与、⑥新しいリスク、⑦意識と関心、⑧自分に起こるのか、⑨リスクとベネフィット、⑩信頼(政府の正式発表など)。ほとんどが放射能リスクと関連するのだが、その人によって捉え方が多少違うかもしれない。著者によればストロンチウム90には警戒を払うべきと本書で念を押している。2年で消え去る放射能、場合によっては50年以上加味しなければならない放射能もあるのは事実だ。
ただ、リスクを削減しようとすると、別種のリスクが発生してしまうことも事実である。これは現在我々の社会が低リスク社会ゆえのこと。そのためには、リスク分散をはかり、定性的から定量的に物事を捉え、そして、孔子のセリフの「正しい知識を身につけた上で、考えよう」ということなのだろう。
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