■書評 ナポレオンのエジプト -東方遠征に同行した科学者たちが遺したもの

03437523ナポレオンのエジプト

著者 ニナ・バリー
訳者 竹内和世
出版社 白揚社
発行 2011.07/25


昨年の米誌TIMEの2011パーソン・オブ・ザーイヤーに選ばれたのは、「抗議者たち」であった。
その中心は「アラブの春」のエジプト。エジプト×ナポレオンで興味津々で今日はこの書籍をセレクト。

《軍事的天才ナポレオンは、なぜエジプトを目指したのか?》
ナポレオンがエジプトを目指した当時、イギリスがインドを支配下に置き植民地貿易の儲けで貴族のような生活
をしていた。
他方、フランスは国家がほとんど破綻状態であった。ナポレオンとフランス政府の要望はエジプト占領が、一大フランス帝国創設に向けての第一歩と位置づけた。
総勢3万4000人の将校と1万6000人の水兵・海兵それにサヴァン(学識者・学者の意)がフランスからエジプトへ。その出航の際行き先を知らされていたのは、僅か12名である。それだけ、ナポレオンの威厳がすごかったのであろう。よって残りの人々はいわば、人生をナポレオンに結果夢だけ吹き込まれたかたちとなる。

まず行き着いた先は、古代最高の文化都市アレクサンドリア。ところが「古代の驚異」の影も形もない。まず戦ったのは、戦の宿命・「病」であった。乾いた熱、砂嵐、オルサルミア(エジプトの眼炎)である。
それから一行はカイロへ。この地でビックリすることが起こる。それは、ナポレオンが親密な3名以外をエジプトに置き去りにしてフランスへ帰国してしまったのだ。
実はその頃、イギリス軍は、エジプトからフランス遠征の出来事など母国に残した親族や友人への手紙はすべて押収していたのだ。よって出しても出しても返事は一切ない。

海洋からはイギリ軍、大陸からはトルコ軍と身の危険を感じたナポレオン、なんともひどい。それでもサヴァン達は文中の宿命と戦いながら、約4年間、日誌を日々つけるもの、地図の作成、植物標本、絵画etc..と頑張りぬく。
現地のサルムークを護衛につけ日々葛藤したサヴァン達。例えばイスラム教信者とキリスト教信者が出会いあった際、負けると思った瞬間、自ら自分の鼻を切り落とし醜くし強姦を防ぎ、死を選択する。そんな光景も描かれている。
この遠征での一番の収穫は「ロッゼッタストーン」であるが、それですら、エジプトに最後に残ったムヌー将軍は、命と引き換えにイギリスの古物収集の大家ウィリアム・ハミルトンに押収されてしまう。
そのロゼッタストーンは、大英博物館に置かれた。本来であればルーブル美術館にあるはずのものが・・

「知ること」へこだわったサヴァン達の研究にも非常に興味深いものがあり、本書の挿絵に残されていて歴史に名を残す人物も多くいたが、故国の土を踏む事ができたのは僅かである。
かくして、ナポレオンの目論んだ東方遠征は、本書の原題の蜃気楼(ミラージュ)だったわけであるが、逃げるが勝ちと捉えるべきか、見切りの美学と捉えるべきか、西洋とイスラム世界との交流を知る軍事の書籍でした。