■書評 ご先祖様はどちら様

03382133ご先祖様はどちら様

著者 髙橋秀実
出版社 新潮社
発行 2011 04/20



昨日、お彼岸にかけて読み終えた書籍である。まさにピッタリでほのぼのとしたノンフィクションであった。
皆さんは、ご先祖様にどんな言葉をかけましたか?

「お父さんがいるから、お爺ちゃんいる」お仏壇のTV・CMで流れていたように記憶している。単純に考えて10代遡れば1000人、20代で100万人、27代で1億人ものご先祖様がいる。
ひょんなきっかけで川崎在住の著者は、先祖巡りの旅にでる。戸籍を遡りながらまずは、父方の地・宮城県へ。
実は曾祖父は小学校の校長先生だったらしい。しかしそれより前の先祖、曾祖父の父・母の戸籍は空欄。
よくよく考えて母親と一定期間同体だったと著者。よって今度は、母親の戸籍巡りへ。

ルーツ探しは、古事記からスサノオノミコトまで登場し、武士と言われて背筋が伸び、百姓だと言われ落胆しつつほっとする。実は「百姓」とは、文字通り百の姓。「つまりいろいろな人々」でありいろいろな人々と生きている意味だそうだ。ボクは百を知っているから百姓ができると捉えていた。
さらには平家と言われ「祇園の精舎の鐘の声」を口ずさみ、そして源氏だと指摘され天皇家にも繋がっていると聞く。実際著者は「出雲大社」etc..自ら足を運んだ。

はっきりした事は、飛騨山脈のある新潟・富山県を境に苗字がだいぶ違うそうだ。ボクは、小林。苗字ではBEST10にランク入りするかしないかの苗字である。本書によれば完全に東日本の人間である。新潟県では2番目に多いそうだ。さて全国BEST3の高橋は、??考えただけで塵でできた星雲のように頭がもやもやになったと著者はいう。
結局のところ、先祖はもやもやでよくわからないものであり、よって誰かとつながっているのだと著者は導く。

そして行き着いた先は、母の母の母の母の苗字・市川。どうやらあの武田信玄(武田家)から逃げ現在の山梨県へ辿り着く。その武田家の家訓には、「大抵のことは人にたずねられても『知らない』と答える」とある戒めに妙に納得する著者。

先祖の記録がすべて残っていれば、それこそ逃げ場がなくなることに気づき、肩の力が抜ける。
誰かの末裔であることはそれほど重要ではなく、きっと周囲の人たちとどこかでつながっているのではないかと道ですれ違う人たちに親近感を覚える。

これが聖書になると、アダムがイブを生み、イブがエノスを生み・・・結局、聖書の教えとは辿れば同じ。
他方、日本原点の古事記は、始点から線を引くことができない。
仏教には「無」という境地があるが、まさに子どもように「なぜ、どうして」と追及したルーツ探しだったからこそ大変面白い仕上がりの書籍になったと感じた。

ご先祖様は、そこに佇んでいらっしゃる。また来るね、元気でね。そんな一言で落ち着く。
それにしても今回のような稀有なノンフィクションは、久しぶりに読んだ気がする。