■ 書評 自己愛過剰社会

03488994自己愛過剰社会

著者 ジーン・M・トウェンギ/W・キース・キャンベル
訳者 桃井緑美子
出版社 河出書房新社
発行 2011 12/30


両親から授かった命大切にする事、非常に身に染みて思うときがある。
しかし、それが過剰すぎると・・2人の米国心理学者は「自己愛」が近年ますます増加し、一種の流行病になっているとに警鐘を鳴らす。
この書籍はアメリカの分析データが主であるが、訳者の桃井氏が指摘しているように、もはや対岸の火事ではなく、ボクが読了した限りでは日本でもすでに蔓延している。

その代表例が、昨今話題になっているキラキラネームではないだろうか?
与夢(あとむ)、虹空(にっく)、歩論(ぽろん)etc..これは、ナルシズム発祥の地といわれる米国を超えている気もする。当然米国も、いわば「個」に重視し多様な名が増えているのである。

ギリシャ神話の名高い「ナルキッソス」からナルシスト。まさに個人主義が米国では台頭し、それに輪をかけて煽っているのが、マスメディアでありインターネットである。
ユーチューブでは、ブリトニー・スピアーズに真似、容姿はセレブやスターを鏡とする。そう、いかに目立つかが彼らの目的である。
本書によれば、その傾向が強いのが、アメリカの中流以下の層に顕著に表れているという。結果不相応の限度額一杯のローン地獄にはまり、高級ブランドを買い漁り必死に自己アピールし、それが米国社会を勝ち抜くための手段となり自分を水面に写した残念なことに神話同様、鏡となってしまったのだ。

努力のベクトルがとんでもない方向へ向き、かつてのアメリカン・ドリームがどこへやらである。
極めつけは、銃乱射事件である。目的は「有名になりたかったから」。日本においては、あの秋葉原の事件が同様である。
個人の自由、自尊心、自己主張、自己実現、自己・自己・自己と自己賛美である。
SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)での自己アピールは、深く長い友より数を競い合う。
当然深かった人間関係は浅いものとなり、社会的な信頼関係は崩壊していく。
これを経済用語で言えば、「代替可能物」という。いわばガソリンと同じである。昨年の京都・清水寺で世相を表す漢字一文字「絆」、それは全く度外視の社会である。

これに対して心理学者の著者らは、「治療法」の提言もしている。①エゴを抑える、②人はみな同じと思う。
以前、書籍「バチカンの聖と俗」を読了したが、米国においても宗教離れが著しくしかも改宗も多いそうだ。
これは、カトリックの総本山でも言えることである。

「上から目線」という言葉があるが、とりわけ子育て教育に対する本書の提言は、警告といってもいいであろう。
しかし、昨今の就職氷河期時代「自己アピ-ル」の際に、学生と面接官の現場でのやりとりがどんなものであるか興味もわく。
一番危惧されるのは、自己が自国に変わり戦争という最悪のシナリオにならぬことである。
そこには「和をもって尊しとなす」精神が注目される日がくるかも知れない、とボクは感じた。