■ 小布施まちづくりの奇跡


03244358
小布施まちづくりの奇跡
著者 川向 正人
出版社 新潮新書
発行 2010 03/20



さあ、間もなくGW(大型連休)である。唐突ですが、信州人の方そして県外の方、信州と聞いて何処を
思い浮かべますでしょうか?当園の常連のお客様であれば当然軽井沢が一番手にくるかと思いますが、
上高地、戸隠、諏訪湖、木曽路etc。

今日ご紹介するのは、信州は『小布施』。ボクは中野市の某市場に果物の買い付けの際、高速で
小布施を通るたびに「葛飾北斎の街」という観光案内を目にする。我が街・小諸は、「島崎藤村」の街と
何処も一緒だなとこの書籍を読了するまでは思い込んでいた。

現在、小布施町の人口を街のHPで確認したところ、11,486(H20.01.01)の総人口だ。なんとこの町に、
年間の観光客120万人の方々が訪れるという。実に住民の100倍である。
しかも、特別観光誘致活動は、本書によればしていないそうだ。
経営学の泰斗、ピーター・F・ドラッカー(1909~2005)は、企業の目的は「顧客の創造」である。と名言を残した。
まちづくりから何か得るものがきっとあるということで、今日はこの書籍をセレクト。

この『小布施』のキーワードは、「修景」である。修景とは、景観に欠けたところがあればそれを補い、不要なものは取り除き、乱れたことろは、整えて一つのまとまりのある景観・世界をつくりあげていくことだそうだ。
皆様もよくご存知の「小布施栗」は不運からのスタートだった。実は小布施の気候条件が扇状地特有の酸性の土壌のため稲作は適さない。
それでは、何が「適地適作」か。小布施住民にとって稲作以外のこの扇状地に最適な作物を探すことが、いわば宿命だった。それが現在のブランド栗、『小布施栗』である。
実はこの栗、旬の時期に信州の市場でもなかなかお目にかかれない。ボクは3ヶ月に一度東京へ出張へ行くが、「新宿伊勢丹本店」の果物売り場で目にし、信州のフルーツのバイヤーとして嬉しさ半分。悔しさ半分の思いをした。

話を戻そう。街づくりといえばとかく行政が絡んでくるわけであるが、小布施町に至っては、全くと言っていいほど頼っていないのだ。その理由は?
①各自が自立する道を探して、行政の財政支援を受けないこと。
行政の助成金には、必ず限度があって恒久的に続くものではないので、事業の成果を子・孫の代まで残そうとすれば、経済的に自立するべきとの考え。
②行政はクレームに弱く安全策をとろうとして、結果住民も観光のお客様も苦労半分、喜びも半分の中途半端になってしまう。

そして、その結果、自信と誇りの「私の庭にようこそ」運動が始まるのである。
その代表例がオープンガーデン運動である。これは、「内」と「外」との境界線をいわば取っ払ってしまうという考えに基づいた考え方である。必要ならば低い生垣にしできるだけ塀も垣根も取りのぞく、そして時には縁側で観光客と家人が腰をかけ庭木や草花を観て話が弾む。

歴史を大切にし、だからといって今の生活を決して犠牲にしない街・小布施。
ボクも時間があれば、じっくり原風景の醍醐味を味わってみたいと思う。
最後にこの小布施の街づくりに欠かせなかった建築家をご紹介したい。宮本 忠長氏である。
「大切なのは、建築と建築の間。これを〈つなぎ〉と言っていますが、建築家の苦労するところはこの〈つなぎ〉の部分です。そういう意識を持って路地や建築物やらないといけないと」強調していたのがボクには印象に残った。
まさに日本の和のこころの『間』の大切さを改めて実感させてくれた書籍だった。