ASAMANA manager's-blog

旬のフルーツリレー便

2012年02月

書評 ノーベル賞はこうして決まる

■ノーベル賞はこうして決まる -選考者が語る自然科学三章の真実

03466533ノーベル賞はこうして決まる

著者 アーリング・ノルビ
訳者 千葉 喜久枝
出版社 創元社
発行 2011 11/10


以前、本ブログの2011.12.21付け書籍「パラダイムでたどる科学の歴史」は、「誰が後継者に一番影響があった研究か」に主眼が置かれた書籍であった。
しかし、ノーベル賞は文字通り研究の歴史を遡り、研究の発展において本当に貢献したのは誰であったのかを突き止める点になる。

それはアルフレッド・ノーベルの遺書に基づき100年以上不変である。だからこそ12月10日のあの舞台は、まさに体験した方しかわからないものであろう。
本来であれば、五章あるノーベル賞。本書は、文学章・平和章ではアーネスト・ヘミングウェイしか記されていない。また本書をきっかけに「野口英世アフリカ賞」が小泉政権時代に設立されていた事をWSJ(02.21)に初めて知った。
著者は、ウィルス学者でスゥーデンのカロリンスカ研究所での研究やスゥーデン王立科学アカデミーの事務総長を歴任し30年近くこの偉大なる舞台裏を知る立場にあった。

《偉大なる発見の種はつねにわれわれのまわりをただよっているが、それを受け入れる準備が整っている心にしか根をおろさない》 (科学者 ジョセフ・ヘンリー)

物理学、化学、生理学医学の2009年までの受賞者に、まずは驚かされた。この三章のうち世界の僅か0.25%のユダヤ系人が実に1/4で章を受章しているのだ。これは人間の、また「進化」という学習の仕切り直しである。そして、もうひとつ選考関連の資料は、50年の月日を待たなければならないのが決まりだ。

親子で受賞したケースは過去6例。初めてノーベル賞へ推薦された年に受賞したり、外部からの推薦がないまま委員会内の声で受賞が決まったりした例もある。一度賞が決まれば覆される事は決してない。
また、「運」というものもつきもので、たまたま科学の潮目にあったり、選考に関わる人々の力学も働く。
その代表例が、野口英世といってもいいだろう。もう少し早く顕微鏡が発明されていたら・・
他方、利根川進氏は「多様な抗体で生成する遺伝的な発見により」1987年生物医学賞を受賞した。

本書の最終賞は、著者が関与した牛海綿状脳症(BSE)の原因と知られるプリオンの発見についてのエピソードが、化学に疎いボクにとって一番興味を引いた。
その人物は、博学な永遠の旅行者、カールトン・ガイジュシェクである。
ニューギニアのフォレ族を研究し、それが後々CJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)の発見へとつながり、著者はこの人物に追っかけ記者のように同行する。ここがボクにとっての読みどころであった。
そして、カールトン・ガイジュシェクの自宅には、氏のお気に入りになんと野口英世の名が。旅行科学者だっただけにアフリカできっと野口の功績を評価したのであろう。

誰の発見が受賞に値するのか?研究史において、最も重要な発見や概念の構築に貢献されたのは誰であるか?科学が進歩すればすればするほど、選考者にもプレッシャーが重くのしかかる。
現在、ノーベル賞に一番近い人物と言えば、京都大学のips細胞研究の山中氏ではなかろうか?
是非、12月10日オスロの舞台に立っていただきたい。

この書籍で再認識できたのは、ウィルスは確実に人間の進化をもたらした。
そしてボク個人としては、文学・平和賞に特化した書籍を望みたい。
尚、スウェーデン語からの翻訳のため訳者の苦労が窺え、よっ化学の基礎知識を持ち得た方はより一層本書を楽しめるではないだろうか。

おばんざい料理「なが芋の和風ポテトコロッケ」

久しぶりに「おばんざい料理」に長芋を用いて挑戦しました。
長芋といえば、とろろで食べる。コロッケなんてと思いながらレシピ集通りに・・

あばんざい料理「なが芋の和風ポテトコロッケ」です。
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P2160560【材料】
八ヶ岳・川上村の「長芋」、玉ねぎ、牛のひき肉
豊橋産のラディッシュ、キャベツ、人参です。




この料理のコツは、なが芋を電子レンジで加熱する事で手軽に料理ができます。
またケチャップをつけても美味しいです。

余談ですが、なが芋の大好きなトップアスリートを以前ご紹介いたしましたが、皆さまご記憶にございますか?

陸上男子100m世界記録保持者、カリブの怪物ウサイン・ボルト選手です。(書籍 走る遺伝子 参照)
もしかすると、長芋を食べると足が速くなるかもしれまんよ?

初めて挑戦した長芋のコロッケ、主役のなが芋のさっぱりした味わいが新鮮で食べあきないおいしさでした。

★レシピ
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信州・東御市「中屋敷」地区での巨峰の剪定作業

雨水を境に、やっと朝の最低気温がプラスに転じた軽井沢地域。

昨日は、信州でも別格の扱いをうける東御市「中屋敷」地区での当園契約農家の巨峰剪定作業の光景を撮影してきました。
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いよいよ、剪定作業もラストスパートだそうです。
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尚、当地は昨年8月25日に天皇・皇后両陛下がご来園になられた事で、巨峰の適地で御馴染みになりましたね。
 
例年ですと、剪定作業は12月~3月10頃までだそうですが、今冬信州東信地区では、あの「18年豪雪」に匹敵する寒さの影響でやや作業が遅れぎみだとか。
 
そして、たわわに実った濃厚さ満点の「中屋敷巨峰」を味わえるのは、9月中頃過ぎです。

「幻の赤い宝石」、イチゴ「あすかルビー」超限定入荷!

今更、このフルーツのご紹介と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、実はイチゴには旬が2回あります。
まずは、12月末~1月、そして2月中旬です。2番果が美味しいのはこの時期なのです。
 
ところで、イチゴを漢字で記すと「苺」ですね。苺はどんどん増えるフルーツで、母がどんどん子を増やすことにちなんで、「草」に「母」と書いて「苺」と読むようになったそうです。
 
そして今回入荷したイチゴは、別名「幻の赤い宝石」といわれる奈良県・あすか村産の「あすかルビー」です。
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ただでさえ、関東・甲信越には出回らないこのイチゴ、今冬は寒波の影響で尚の事入手困難です。
まっ赤に熟した大粒の実と、甘さタップリの果汁がたまらない逸品です。
また、イチゴは、先端部分に甘みが凝縮されておりますのでヘタの方から食べれば最後まで甘みが楽しめます。
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書評 赤い男爵後藤新平

■書評 赤い男爵後藤新平

03413468赤い男爵 後藤新平

著者 田中 重光
出版社 叢文社
発行 2011 05/01



過日、大阪維新の会が主催する「維新の会」の募集が締め切られた。応募者3,226人。またネット配信のニュースでは、現野田首相より話題も多い大阪新市長の橋下氏。もちろんマスコミも数字が取れるということもあるが、政治不信の裏返しでもある。
知事から市長、そして国政へなんてことがあるかわかならないが、何かやってくれそうな期待感がある。
そこで歴史上人物で2人をボクなりにピックアップした。まず一人目「後藤新平」である。
ところが、本書を読み終えた矢先、「維新版・船中八策」が話題に持ち上がった。

それは、さておき大河ドラマを観ないボクは、久々の歴史人物本に感動した。そして、この人物にも・・
もし、後藤が生きていたら被災地復興をどのように考え実行するかそんな本書の内容であった。
「レッドバロン」=赤い男爵と共産主義者がそう呼んでいた。後藤が最後の国政に携わった際に言っていたことは「政党、国民、選挙、この三者にメスをいれなければ、この国の政治も国民の自治的政治もよくならい」と。
まさに現在の日本に酷似する。

東日本大震災の被災地出身・岩手の後藤は、まず国民目線での仕事は衛生業務からのストーリーで始まる。
その後、北里柴三郎との出会い、後に健康保険法が成立するがそれには後藤が関与した。
その他、赤い郵便ポスト、電気事業法etc..と枚挙に暇がない。
この人物の一番素晴らしいところは、といかく「利他の心」の持ち主であったことではないだろうか。
よって「名誉」なんて言葉は、後藤にはなく、ただただ国民(市民)のために・・、イエスマンなんて関係なく間違った
政策であれば、時の首相にも縦を突く。しかし後藤は実際、小心者だったと著者は記している。
だからこそ、部下に信頼を得、人脈のネットワークは福沢諭吉、新渡戸稲造、安田善次郎など皆さんが聞いた事のある人物がズラリである。
元々、医者を目指していて役所嫌いだった後藤、人生は本当にわからないものである。

そして、事は1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生する。
そこで、過去の後藤の実績が生かされる。台湾民政長官、満州鉄道総裁、逓信、内務、外務大臣を歴任し
「復興震災」を任されるのだ。後藤の功績といえば台湾・満州。それは、海外への頻繁の視察などフットワークの軽さ、人心掌握。例えば「閣下(後藤)、その工事には3か月少なくともかかります」と言われて際には、「1か月でやれ、だからこそお前たちプロを呼んだのだ」と激励!海外視察の際に出会った外国人のその道のスペシャリストをすぐに日本に呼び先を読んだ先見の明と、なんと言って常に国民目線の街づくりの実行を試みた。

震災復興の内務大臣を任された後藤は、「遷都はしない、復興費用は30億円、欧米に負けない最新の都市づくりをめざす」と宣言。しかし、問題は資金の工面であった。それを工面したのが井上準之助である。
ここでもニューヨークの赴任が活かされた。人材の適任も完璧だ。
結局この復興計画は、当初より大幅に縮小されたが、公園、先々のモータリゼーション化を睨み現在の昭和通りの幅など東京の都市構造は、後藤のもとで築かれたといっても過言ではない。

関東大震災の直後の、後藤の姉の初勢、妻の喜美が神楽坂で炊き出しで住民への計らいや後藤の恋話などは、エピソードとしても面白い。
明治維新で負けた水沢藩出身の後藤が毎日、新聞紙面に掲載されるまでのストーリーは、現在の日本の政治を考える意味でも、もってこいの書籍であった。
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